デリー裏街道・名所の裏側紹介


大統領官邸


ニューデリー観光の観光バスから降りてくる世界各国インド各地からの観光客が
写真に収める場所として有名ですが、 ちょっと裏手にまわると「インド」らしい風景が。
「神様ハヌマ−ン」への功徳として、サルに餌を
やる人が多いインド。野生化したサルが大統領
官邸の裏にも沢山います。朝夕は車で餌
(食べ残しのチャパティなど)を運んでくる人が
沢山いる為「ここでサルに餌をやらないで」
と立て看板ができるほど。対処に困ったインド政府
はサルを追い払うために「ラングール」という
サルを雇ったのです!!
このおサルさんは「政府のお役人」待遇だとか。


左は暢気にえさをねだる
「普通のサル
下は「政府高官」ラングール」。
(ヒンドゥスタンタイムズの記事より)




大統領官邸から大通りを歩いて、インド門までのんびり散歩するのもいいですね。
年末からは大通りラジパトでは両側に観覧ベンチの準備中。
1月26日の共和国記念日のパレード用観覧席の準備が進められているのです。
それ以外の時期は「インド門」近辺の芝生はインド人の「ピクニック」に人気の場所。
お弁当を持って友達や家族と出かけ、子供達は大道芸人や風船売り、お菓子や豆売り、
綿菓子売りに夢中。大人はのんびりピクニックを楽しむのです。
夏の夕暮れから出かけて見ると、アイスクリーム屋さんがずら〜〜〜っと並んで、
「デリーの夏の夜の風物詩」にもなっています。







ハヴェリ

ハヴェリとは「豪邸」のこと。Devdasというインド映画ではハヴェリの様子がよくわかります。
その昔デリーにもハヴェリが沢山ありました。現在ではそれが子々孫々にわたり
受け継がれる過程で色んな人に渡譲分割され、昔の大邸宅の面影はなくなって
いますが、オールドデリーにはまだその名残をとどめる建物があるのです。
チャンドニチョウク近辺だけでも以下の通り。

                  
左:Chingamal ki Haveli               右:Begum Samuru ki Kothi    

その他 Namak Haram ki Haveli
    Haider Quli ki Haveli等

こういったハヴェリはラジャスタン州にはまだ沢山残っていて、ホテルとして
利用されている所が多いので、建物やハヴェリの歴史に興味がある方はぜひ
「ハヴェリホテル」のご利用をおすすめします。ラジャスタン州ではマルワリと呼ばれる
宝石商人・豪商のお邸として建てられたものが現存しています。
デリーでハヴェリの造りをゆっくり見てみたい方はクラフト博物館(プラガティマイダン)に
ある保存ハヴェリをご覧になると、一目瞭然。クラフト博物館のものはとても繊細な木彫が
施してありこれも一見の価値があります。

豪邸の話のついでに「家」にまつわる話をもうひとつ……
パキスタンからの引揚者の家
インドとパキスタンとが分離独立した際、
それぞれの宗教により、パキスタン側のヒンドゥ教徒はインドへ、
インド側のスラム教徒はパキスタンへと
命からがら移動した事は歴史の時間に教わった…
という方も多いと思います。

インド映画の題材としても印パ分離のシーンは
頻繁に使われます。今から50年以上前の事とは
言え、デリーでもまだその痕跡を見つけることができます。
パキスタンから逃げてきたインド人のために、インド政府は
「引揚者専用住宅」を分譲しました。
デリーではラジパトナガル地区やカムラナガル、マルヴィヤナガルなどが
その地区になり、右の写真のような小さな家が建てられました。
                        

今ではこういった小さな(ひと部屋に簡単なかまどがある)家は,「ビルダーズ・フラット」と呼ばれる3〜4階建ての
豪華アパートに姿を変え、オーナーが地階に住んで、あとはレンタルするという形になっていますが,
デリーのローカルマーケットの片隅にひっそりととり残された家を見ると
インドの独立への歴史がなまなましく伝わって来ます。
                        



国立博物館

日本からのツアーは「デリー駆け足観光」なのでゆっくりとはご覧頂けませんが、
ニューデリーの国立博物館はその収蔵数・収蔵内容いずれをとっても必見です。
改装が終了した「インダス文明」ギャラリーと「ミニチュアール(細密画)」ギャラリー
は趣向を凝らした作りで、とても見やすくなりました。仏教関係ではサールナート彫刻の
レプリカや「仏舎利」をお見逃しなく。
〈下記2点はジュエリーギャラリーに展示してあるもの)
ウダイプールのネックレス
ムガールスタイルのアームレット(18世紀のもの)     モチーフは「太陽」

2階のテキスタイルギャラリーにはインドを代表するテキスタイル・イカット(絣)、
バンダニ(絞り)カンタ刺繍、カシミール刺繍などとても値がつけられないようなものが
沢山あります。
入り口正面(野外)にはアショーカ王の法勅碑文がど〜んと展示され、建物に沿って
並べられた彫刻はプーリーのスルヤ(太陽)寺院のもの…と、国宝級のものが無造作に
展示されているのです。(日本ならガラスケースに入れて、柵を作って、赤外線で厳重
警戒して展示するだろうなぁと思うようなものが沢山!!)
2階のミュージアムショップもかなり品揃えが良くなってきました。
また1階のチケット売り場では展示してある彫刻のレプリカ作成も受けつけています。
(但し何時出来あがるかは運次第!?)
チケット売り場に向かって右横には博物館付属の図書館もあります。ここでのんびりと
調べ物をするのもよし、絵葉書など買ってゆっくり手紙をしたためるもよし。
のんびりと時間をかけてご利用頂きたいインド有数の博物館です。コンノートプレイスから
ジャンタルマンタル経由でぶらぶら散歩がてら行けるというロケーションも嬉しいですね。
(ただしオートリキシャなどがず〜っと客引きしながらついてくるのは困りもの……)

マハーバーラタ(16世紀)
 マニュスクリプトギャラリー内









ディッリーハート



                        グジャラートのアップリケ    ビーズ製品とビーズ     

デリー観光局が運営するDilli Haatは「インド各地の産物」が展示即売される
楽しい市場。どこでどんなものが作られているのか、相場はいくら位なのかを知るには
持って来いの場所です。(ぼられた、だまされたという話題がつきもののインド旅行、
デリー基点に旅行を開始なさるかたはディッリ−ハート敷地内なら「物乞い」「客引き」に
うるさくつきまとわれることなくインドの物産品を見て回れるのでお奨めします。)
入場料が10ルピー(25円)というのも嬉しいですよね。「特設展」期間中は
「手工芸月間」や「織物週間」などテーマによっていろいろなものがご覧頂けます。
食事コーナーも各地の名物料理ブースが沢山あって選り取りみどり。
デリーにいながらにしてインド各地の名産品と名物料理が手に取れる、おすすめの場所です。場所はINAマーケットの向かい側。



インド料理に疲れた胃には「アッサム」や
「マニプール」のブースで出している焼き飯・
焼きソバ・モモ(チベット餃子)が嬉しい。
フルーツビアも爽やかな甘さですっきりする清涼飲料です。




宗教画のお店



デリー裏街道・名所の裏側紹介第2弾
「デリー歴史の散歩道」


デリーの地下鉄

デリーの地下鉄が開通してから約1年。
日本の技術が随所に活かされ、熊谷組や
三菱重工などの駐在員の皆さんも大活躍。

オープンの日の公告も「インド」らしかったですよ。
☆構内の備品(ベンチなど)を持って行かないで。
☆牛乳缶を持って乗車するのを禁止します。
 などなど。

地下鉄の初乗り料金は6ルピー(約15円)。
自動販売機でトークンを購入し、それを自動改札機に通すのですが
トークンをお土産に持ちかえる人が多くて数が足りなくなった日もあったとか。
オールドデリーの喧騒、不衛生な場所など見ていると「地下鉄なんか作って
大丈夫なのかなぁ?」と危惧した方も多かったと思いますが、今のところ
「市民の足」としてその地位を確保したようです。

現在デリー空港やノイダの各方面に向け突貫工事が行われており
全線オープンに向けて工事もフル回転中。
空港をつなぐ新路線が完成の暁には
ロンドンもびっくりの便利な地下鉄がデリーを網羅し、
デリー空港から安全・快適に街中まで移動できるようになるのです。
(悪名高きデリー国際空港からの「くも助」タクシーたちは
どうなってしまうんでしょうね?)
個人旅行者にとっては待ち遠しい、空港線地下鉄の完成です。

さて、今回はこの地下鉄沿線の歴史的コースをご案内しましょう。
まずは「ロシャナラ・ロード」からの散策に出発です。


セポイの反乱 
                     

『1857年・セポイの反乱』は高校で世界史を選択した方には忘れられない
年号ではないでしょうか??
歴史の時間に机上で覚えたことが現実のものとして迫ってくるのが別名
「反乱記念碑」として知られるアジート・ガルです。
セポイの反乱を鎮圧したイギリス軍は、戦勝記念碑としてその基底部に
負傷者、死亡者数などを「イギリス人・現地人(敵)」とに分けて銘文を掲げ、
リッジの丘の上に建造したのです。


およそインドらしくないゴシック様式の尖塔はロシャナラ庭園側から
ラニ・ジャンシ通りを登ると、右側に見えてきます。
「イギリスがインドを支配する契機となった記念すべき戦いの記念碑」として
ビクトリア朝末期のイギリス人観光客の人気を集めた場所ですが
インド側からするとセポイの反乱は「民族解放のための戦い」だったのです。
この「受け取り方の違い」を是正するため、1972年に銘文が追加され
『ここで言う「敵」とは植民地支配に対して立ちあがり、民族解放の為に戦った 
人々のことである』と書かれています。


アジート・ガルの内部には階段があり、上まで登るとリッジから
コンノートまで綺麗に見渡せるそうですが残念ながら現在は中には
入れません。リッジはセポイの反乱当時、イギリス軍の駐屯地が
置かれていた場所で、現在は緑豊かな公園・市民の散歩道として
利用されています。(上の写真はリッジからコンノート方面を眺めたもの)

記念碑をあとにラニ・ジャンシ通りを更に北上しましょう……


アショーカ王柱



インド国内にアショーカ王柱は数々あれど、ここにもあるとは!
デリーでもフェローズ・シャー・コトラの高台にあるのをご覧になった方は
多いでしょうが、リッジの中にぽつんと立っているのを見ると、「こんな所に
こんな貴重なものが…」と驚くばかり。

アショーカ王はカリンガ王国との戦いのさ中、戦争の悲惨さ・残虐さに恐れ
おののき、改心して仏教の最大の擁護者となった王様です。
(この様子はシャー・ルク・カン主演の映画「アショーカ」でご覧あれ。
カリンガの王女役はカリナ・カプールが演じています。)

アショーカ王柱の前からヒンドゥラオ病院を過ぎ、右手に坂道を降りて、
旧イギリス人居住地へと足をのばしましょう。(Hindu Rao Margを降りる)




シビルラインズ

ラチェンズの都市計画によるニューデリーが出来あがる前には、
イギリス人居住区は「シビルラインズ」と呼ばれ、瀟洒な豪邸が
並んでいた地区でした。(スンダルナガルやシャンティニケタンもびっくり!の
豪邸、スターテレビのドラマシリーズに出てくるハヴェリのようなお邸街です。)
Alipur Roadでの必見はオベロイの老舗ホテル・Maidens。
コロニアルスタイルの白亜の建物は外観、内装どれも一見の価値があります。

オベロイホテルから北上し、次の交差点から左一帯はイギリス人が
住んでいた豪邸がいっぱいの「シヴィルラインズ」地区。
各家の大きさ、豪華さは外側から見るだけでも察しがつくほど。
その中に知事公舎(左下写真参照)が建っています。

         知事公舎            フラッグスタッフタワー

フラッグスタッフ・マルグを登ると中央に「フラッグスタッフタワー」が現われます。
これから左折すればリッジの森の散歩道。森林浴にはぴったり!!
タワーから直進するとかの有名なデリー大学の広大な敷地が広がります。



デリー大学
                       
デリー大学正門

総合大学の中に沢山のカレッジがある…というのはまさにイギリス式の
学校制度。デリー大学の中にも沢山の有名カレッジが林立しています。
「慶応・早稲田」に匹敵するのが下記の「ヒンドゥカレッジ」と「セント・スティー
ブンスカレッジ」。
「インドのハーバード」と称されるのは「Delhi School of Economics」です。
広大な構内にはホステル(学生寮)やゲストハウスも点在しています。
Ramjas Collegeにはシーク教徒の学生が多く、Kirorimal Collegeは
かのアミターブ・バッチャンの出身校として有名。
キロリマルカレッジの前には「アミターブ」という名の茶店もあります。


デリーの慶応・早稲田と称される有名カレッジ群
左はヒンドゥカレッジ、右はセントスティーブンスカレッジ

ぐるりとデリー大学を見て回ったら、南側にある庶民のマーケット、
「カムラナガル」を散策してはいかが?

たまにはこうやってデリーを散策しながら、歴史の本と照らしあわせると
ちょっと変わった、おもしろい観光ができますよ!

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